詩人ブレイクの海辺移住計画#
1800年秋、43歳の詩人・版画家ウィリアム・ブレイクが、ロンドンから60マイル南のサセックス州フェルファム村への移住を決行した記録が、当時の文献から明らかになっている。
移住の背景と経緯#
ブレイクは妻キャサリン(愛称ケイト)と共に、16箱の所持品を携えてこの移住を実行した。荷物には売れ残った版画作品の多くと、それらを制作した印刷機が含まれていた。
移住のきっかけは、友人の芸術家ジョン・フラクスマンの仲介により、著名な詩人・伝記作家ウィリアム・ヘイリーから挿絵制作の依頼を受けたことだった。ヘイリーはフェルファムで「ザ・タレット」と呼ばれる塔付きの邸宅に住んでおり、海の眺望を確保するために邸宅と海岸の間の土地も購入していた。
当時のフェルファム村の状況#
フェルファムは24軒程度の住宅しかない小さな村だったが、既にロンドンからの避暑客が夏用別荘を求めて大挙して訪れていた。ブレイク夫妻が借りたローズ・コテージの家賃は年間20ポンドで、これは隣の「フォックス・イン」を経営する家主グラインダー氏によって、都市部からの観光客相手に割高に設定された価格だった。
海水浴ブームと地域変化#
この時期、海水浴が治療法として流行し、胃の不調から精神的な問題まで様々な症状に効果があると信じられていた。戦争により海外旅行が制限されていたことも、国内の海辺リゾート人気を後押ししていた。隣接するボグナー(後のボグナー・レジス)では、リチャード・ホサム卿がホテルや温水海水浴場、ジョージア様式の邸宅群を建設し、上流階級の誘致を図っていた。
ブレイクの住環境と創作活動#
ローズ・コテージは4室半の小さな家で、茅葺き屋根が急勾配で後方に傾斜している構造だった。ブレイクにとってこれは初めて実際に目にする海との出会いでもあった。彼は後にパトロンのトーマス・バッツに宛てた手紙で、この住まいを「不朽の者たちの住処」と表現し、「天国がすべての方角で黄金の門を開いている」と詩的に描写している。
ブレイクは妻と義姉キャサリンが海岸で海水浴を楽しんでいる様子も記録しており、当時の海に対する恐れと魅力の両面を「海の恐怖と温和さは等しい」として表現している。
まとめ#
この移住記録は、産業革命期における創作者の生活環境の変化と、新興リゾート地の発展過程を同時に記録した貴重な史料となっている。ブレイクの体験は、都市部から地方への移住が創作活動に与える影響について、当事者の視点から具体的な描写を提供している。